〜〜〜内科編〜〜〜
私は中学3年の15歳の時に名城病院で潰瘍性大腸炎と診断されました。
その前からおなかの調子が悪く、いつの間にか、下血するようになりました。余りにひどい下血なので、病院に行ったら、即入院になりした。貧血もひどく、歩くだけでふらふらして、トイレも便を出すと言うよりかは、血を出すだけの状態でした。ものすごく気分も悪く、意識がなくなる位でした。
内視鏡をした後に潰瘍性大腸炎と診断され、最初からかなりの重症で腸全体でした。
その時が始めての入院だったので、色々不安でした。
今まで、自分は風邪以外の病気にかかったことはなかったので、両親ともどもびっくりしました。ショックを受けながらも、最初自分は重い病気だとは認めませんでした。
最初の治療は点滴と食事制限とサラゾピリンでした。
一時期、それで良くなる傾向のあったのですが、修学旅行前を控えて突然下血をしてしまい、修学旅行を諦めて、プレドニンを追加で使う事になりました。
それ以後決してプレドニンがきれる事がありませんでした。
途中、生理が来なくなったので、サラゾピリンから、ペンタサに変わり。いつのまにか、座薬のリンデロンも増えました。
中学3年の時は入院は2回ほどしましたが、毎回3ヶ月半と言う長い期間でした。入院するたびにプレドニンは倍の量に増え、体にも少しずつ異常がみられるようになりました。
ムーフェイスから始まり、免疫低下、食事制限によるストレスの暴飲暴食、骨粗しょう症。
高校に上がる時には、ドクターに無理を言ってプレドニンを急激に減らしてもらいました。その結果、精神異常も見られるようになり、私は高校に入学する頃、精神がおかしくなり入学してまもなく自殺未遂をしました。急いで病院に運ばれ私はその後、半年くらいの記憶はほとんどありません。本当は死にたくなかったのでしたが、追い詰められた自分にはどうする事もできずに死を選んでしましました。後から聞いた話、この病気になって、ステロイドを使ってる人達のなかに、自殺未遂、または、自殺をされる方は多いようです。
私はいつのまにか精神科にかかっていました。そこで出される薬もきつくてたくさんの副作用が出ました。顔の筋肉がこわばってしまって、笑えなかったり、無口になってしまったり、幻覚を見たり、不可解な行動を取ったり。
しかし、薬が効いてきたのか、半年後位には治る兆しが見えてきて、冬には正常になってきました。そう言うわけで私は学校を留年してもう一度、1年生から始めました。
精神がやんでる時にプレドニンの量は減らず、ずっと同じ量でした。
残りの高校3年間は毎年必ず入院をするという事をしていました。
なかでも、特にひどかったのが、高校2年の時の春の骨粗しょう症による、圧迫骨折でした。大量のプレドニンで私の骨はすかすかでした。しかし、ドクターはカルシウム不足になる事がわかっていたにもかかわらず、若いからという事でカルシウム剤とかはもらっていませんでした。そのために私はストレスによる暴飲暴食で太ってしまった体を支える事ができなくなり骨は潰れてしまいました。
それにより、私は7センチ身長が縮みました。それだけではなく、太りすぎた体には妊娠線とも呼べる皮膚線状が体中に出ていて、おまけに両足のすねは皮が薄くなり、内出血しており、青紫色をしていました。時にはきれたような痛みが走りました。
3ヵ月半入院して、そのうち2ヶ月は寝たきりの生活でした。その後リハビリをして、何とか歩けるようにはなったものの、杖をつきながらではないとものすごく危なかしい状態で、骨も全然弱く、転んだらまた、骨折してしまう状態でした。
その後、退院後私は高校2年から、杖をついて学校に行くようになりました。
古い高校だったので、色々体の為に手すりを付けるなど、申請しました。クラスも2階だったのを1階に変えてもらいました。
この時は大腸の調子はよかったのですが、思わぬ副作用で痛い目に合いました。
そのまま、高校3年生を向かえる事になりました。
私は大学に行こうにも、体調が、あまりに悪く、どこも受けれませんでした。
しかし、単位が毎年足りず、この時も単位不足でした。また、入院をしていた頃に「もうこれ以上休めない」といったら、病院から、高校にかよう事になりました。
そして私は病院と高校と家の行ききが始まりました。母が車で送り迎えをしてくれたので、助かりました。
薬は相変わらず変わっておらず、減らそうとすればすぐに悪化すると言う事を繰り返していました。
そして、いつしか、高校卒業を向かえる事になりました。私の体は、卒業式は出ないほうがいいんじゃないと言われるくらいでした。しかし、最後だったので気合を入れて行ってきました。
そしてその後緊張の糸がきれたのか、体がどんどん悪化していきました。
内視鏡をして見ると、さらに全体的に炎症が起こっており、S字結腸の辺りに便をふさぐような形で腫瘍ができており、その奥には拡大結腸で胃のように腸が肥大していました。ずっと使っていたリンデロンもステロネマに代えましたが、効果はありませんでした。
また、ヘルペスにかかったり、糖尿病にかかったり、肺炎を起こしたり、膿皮症を起こしたりと、様々な感染症や、副作用が出てきました。また、圧迫骨折で生活が不自由になったので身体障害者を取りました。
そういうわけで、、内科では、治療できないと言う事で、手術をする事になりました。
しかし、私が行っていた、病院は専門家がおらず、転院と言う事になりました。
ドクターが横浜市民病院を紹介してくれましたが、私は自分で探した病院にしてくれと、資料を持って頼みました。そこが、三重大学医学部付属病院でした。
しかし、体調が安定せず、なかなか外来に行く事が出来ずに、行ったのが、初夏の事でした。その後、楠教授の診察を受けて、呼ばれ次第、三重の方に移る事になりました。
呼ばれるまで、私はそのまま名城病院に入院してました。
〜〜〜外科編〜〜〜
やっと呼ばれて、三重大に入院する事になりました。
その時の私は副作用の嵐でした。今までのプレドニンを換算したところ、4万9千mgほど使っていたそうです。(普通1万から2万rまで達したら、即手術対象です)そして、体の写真も撮られる事になりました。(参考のため)
すぐにオペをしようと言われたのですが、肺炎が再発してしまい、結局手術は延期になりました。幸い大腸は安定していたので、肺炎と、糖尿病が落ち着くまでに内科に転科しました。そのかいあってか、私は、手術をするまでに肺炎を治し、糖尿病を落ち着かせる事ができました。しかし、それでも、オペで何が起こるかわからないと言われていました。
そして、9月にオペをしました。私のオペは、3期でした。
一回目は大腸を直腸だけ残し、残りを全て取り、人工肛門をつけるというものでした。
オペの時、点滴でステロイドを注入する事になりました。体には沢山のステロイドが必要だそうだからです。
種類は違いますが、200mmほど入れたそうです、その後100mm、50mmと減らして飲み薬にしていきました。(点滴は量は多いですが飲み薬よりもずっとステロイドの量は少ないようです。だから沢山入れます)
普通の人なら背中の脊髄に痛み止めの点滴を打つのですが、私の圧迫骨折の為に痛み止めはなしになりました。
オペにかかった時間は覚えていませんでした。手術室に行くまでに私はずっと緊張して怖かったです。
気がつけば、私はICU(集中治療室)にいました。大事を取って、そこで様子を見ると言う事だったようです。ステロイドのせいか、じっとしてることができない時もあり、なにかと、痛いのを我慢して寝返りを打とうとしていました。たくさんのチューブや点滴、血圧計などたくさんのコードが私の体についていて、とくに鼻のチューブは気になって仕方ありませんでした。お腹には人工肛門がついていました。麻酔が覚めてからずっと、ボーっとして、疲れているのに、眠れなくて、痛いのに痛み止めが効きかなくてかなり辛かったです。気がついた時には両親も少しの間だけそばにいてくれました。無事に終わってほっとしていたようでした。
体調は安定していたようなので、ICUには1日だけいて、すぐに外科病棟に移る事ができました。移動する前に鼻くだを取ってくれとせがんでやっとの事で楽になりました。
その後、次の日から起き上がる練習から始まって、順調に歩ける位になりました。ただ、太っていたので、妊婦さんのようにおなかを支えてないと、縫ったとから、重みで内臓が飛び出てきそうな感じがしました。
食事も3日目か4日目から始まって飲み薬も開始しました。
重湯から、だんだん普通食になって行きました。多分オペをした皆さんが同じ事を思ったと思いますが、いきなり、脂っこい食べ物がどーんと食事に出てくるので、ホントに食べていいのかな・・と思いかなりびっくりしたと思います。私もその一人でした。恐る恐る複雑な心境で食べました。オペ後のせいなのか、欲求不満がなくなったのか、たくさん食べたいという気持ちは少しずつ減っていきました。そして人工肛門のおかげでトイレも楽でした。
人工肛門(パウチ)は適度に排泄物を出せば、時に問題ありませんでしたから。
しかし、私の場合は大腸が一部残ってて、まだ、肛門に繋がっています。そしてその反対側の切った先端はおへその下の辺りから出ていました。私の場合、人よりも腸液が多いので、生理用品や尿取りパットで漏れを防いで、おへそのとこはガーゼをしていました。下は何とかなるのですが、ガーゼは横から漏れてきたり、しみてきたりして、しょっちゅう変えていました。
パウチの方も全てが順調ではありませんでした。
お腹がぶよぶよしてて、なかなかうまく装着できず、漏れたりして肌が荒れてしまいました。小腸の腸液はアルカリ性なので肌に触れると、すぐに荒れてしまうんです。私はよくおなかが荒れてて、かなり痛い思いをして来ました。ストマ外来の時に初めて自分に合ったのを見つけて一安心していましたが、やはり、順調と言うわけにもいかず、ちょくちょく漏れては、自分で処置していました。
1回目のオペが済んで家で療養してる時の年明けのころ。そこそこ順調になってきて、暇だったので成人式の日に自動車学校に通う事にしました。そして、毎日、暇な時間を学校に行って、自動車の練習をしていました。
体調は普通なら残りの大腸が炎症を起こさないはずなのですが私は炎症を起こしてしまったようなので、座薬を入れていました。しかも、肛門からではなくへそ下にできた大腸から入れていました。なんとも変な気持ちでした(笑)
途中イレウスっぽい事があり、途中で入院して行けなくなったりしましたが、がんばって仮面許まで取っていました。学生も多くなかなか授業を取る事が難しく後少しと言うところで、2回目のオペに呼ばれました。そんなわけで自動車学校はお預けになりました。
3月に2回目のオペが始まりました。
1回目とは違い、そこそこ順調に事が運べました。糖尿もほとんど安定しており、骨も最初に比べてだと少しだけましでした。
いつも通りの検査や説明を受けていざオペ台へ。
今回は残りの大腸を摘出し、小腸をJポーチ型にして、再び人工肛門と言うオペでした。
オペ時間は2時間くらいでしょうか、2期でオペをしてしまう人の一回目のおぺを2回に分けてやっているのもですから、時間自体は短かったと思います。
オペ終了後相変わらず沢山のチューブに繋がれており。サイボーグかと思えるほどでした。
今回は肛門からもチューブがつなげられており、なんとも嫌な感じでした。
オペ後自体、順調で2日目には歩いていました。若いおかげで回復や動くのが早いようでした。
ストマは同じ場所に新しくできておりまだ、腫れていました。1回目の時と同じように処置をするので、かなり手馴れたものでした。だんだん、看護婦さん並に処置もできるようになりました。
今回も順調に落ち着き、オペ後1週間から2週間の間には退院していました。
退院後、落ち着いてから、残りの自動車学校へ行って免許を取って来ました。
ストマは相変わらず、漏れなどがあり、ひどくなる事がよくありました。
特に腸液が傷の上にかかり、ポケット状になって腸液がたまり、どんどん皮膚がただれていき、大泣きした事がありました。
即、緊急で外来に行き、ポケットの底にたまった腸液を流すためにチューブを入れました。
その3日後に再び外来に行き、チューブを抜き、再び、地道に処置をしていきました。
このようによくただれてしまうので、医師は「早めにオペをしよう」と言っていましたが、だんだん、治る見込みが出てきたので、この傷が治ってから、3回目のオペをする事にしました。
そして、2回目から約4ヵ月後、傷が治ってきた頃に3回目のオペに呼ばれました。
三重大にかかって約1年、ようやく潰瘍性大腸炎に終止符をつける時が来ました。
3回目はクローズのオペ、人工肛門を閉じるオペです。
さすがに3回目になると、慣れたもので、結構平然としていた感じでした(笑)
オペ自体も1時間半くらいで早かったと思います。
しかし問題はこの後でした。
オペ後、腸が肛門につながったので、トイレ回数が半端じゃなかったのです。
わかっていたものの、実際なってみると、なかなか辛いものですね。
トイレから出たのに、再び入る、夜中は二時間おきや、オムツをして漏れたりするので大変でした。
しかも、今度は腸液や便が漏れる事によるお尻のあれが半端じゃなかったのです。
最悪血がでたりしてかなりしみていて、私のお尻は常にあれていました。
それでもかなり順調だったので、オペ後2週間もしないで退院しました。
やっと全てが終わり、安心して家に帰りました。
しかし、全てが全て順調ではありませんでした。
退院して4日後、オペして丁度2週間してオペをした当たりに激痛が走りました。
余りの痛さに、かなりうずくまっていました。
母に、車で三重大に連れてってもらい、緊急で見てもらい、即入院しました。
検査をした結果、おなかの中での、便漏れはなかったのですが、縫った腸の辺りが腫れあがり水が出ていました。
お腹に注射器をさしその水を検査したところ、無菌で害はなかったそうなので、ほっと一息でしたが、原因は不明でした。
しかし、「もう起こらないよ」とおっしゃってくれたので、私も親もほっとしました。
1週間の絶飲食の後、徐々に食べるようになり、2週間で退院しました。
飲み薬のステロイドはずっと飲み続けていました。
離脱が難しく、なかなか無くす事ができなかったのです。
それでも徐々に徐々にゆっくりなくしていく事にしました。
退院して、2ヵ月後、体調もいい感じになり英会話を習う事にしました。
そして、時に入院をしたりしましたが、かなり順調で楽しくやっていました。
英会話を初めてもうすぐ1年と言う時に、やっとステロイドが全てなくなりました。
長い長い、闘病生活も終わり・・そんな風に考えていました。
しかし・・・長年飲んだステロイドは簡単には開放されなかったようです。
〜番外編〜
3回目のオペ後から半年後くらいでしょうか、右わき腹と、背中が非常に痛くなり、気持ち悪くなる時がありました。それは、発作のような感じでした。
丁度英会話の終わり2ヶ月前に(8月)連続して遊ぶ事があり、かなり疲れていた時がありました。
最後に友人達と郡上八幡に行った帰り、だんだん、体が気持ち悪くなり夕食が食べれないくらいでした。
家についてすぐに休みましたが、体調は優れず、気分がわるいままでした。
お昼ごはんを少し食べたら、猛烈にひどい痛みが走り、七転八倒しました。冷や汗も大量に出て、私は痛みで転げ回っていました。
いつもの痛みとは違ったので救急車を呼び、地元の名城病院へ行きました。
そして胆石が落ちた事がわかりました。
おまけに、オペをしないと再び同じ事が起きるという事で私はショックを受けていました。
オペは内視鏡で小さな穴を空けて取れるのだとばかり思ってましたが、私の場合すでに大きなオペをしているので癒着しているだろうと言う事で開腹するしか方法がありませんでした。薬で散らせないかときいても、それは腎結石にしか通用しないと言っていました。
受けるしか方法がなく、地元に病院で落ち着いた後、再び三重大学に行きました。
ステロイドや、オペ後からなる合併症かどうかはわかりませんでしたが、再び、同じ先生のチームの人がやってくれる事になりました。
話しによると、私のように胆石になった人は私が初めてだったようです。
今回もステロイドを注入しながらいぺをオペをやる事になりました。
なぜならステロイドをなくしてまだ、1週間やそこらの私には、体がまだ、ステロイドを必要とするからだそうです。
再びステロイドの生活が始まる事になりました。
今回は胆石なので、簡単だと先生はおっしゃっていました。
実際に、オペ時間も1時間半くらいで短く。回復も早かったです。
傷も小さく、美容系の縫い方をしてくださいました。
簡単とは言いましても、今回はショックが大きかったです。が、もうこれでオペが必要ないと思うとやっと安心しました。
その後、数ヶ月かけて、プレドニンをなくしました。
副作用による後遺症が残ったものの、これでホントに安心しました。
今私は毎日をエンジョイしています。
将来に対する不安や働く事に対しての恐怖感などはありますが少しずつ克服して行きたいと思っています。
〜〜あとがき〜〜〜
現在私の体の調子は、そこそこいい感じです。v(。・ω・。)ィヱィ♪
今ではステロイドを全部きる事ができ、楽な生活を送ってリます。
時々、油断をして、もらしたりなどちょくちょくありますが、荒れたお尻などは薬を縫って治してます。
残る治療としては骨関係です。半年に一度三重の整形にかかって検査をしています。
これに関しては10年単位で見てみないとわからないようですが、少しずつではありますが、回復方向へ向かっています。
後、私は女性なので、月経の調整です。長年飲んできたステロイドの影響により月経は不順です。これも徐々にですね。
ひとつ以外だったのが、アレルギーでした。
長年使っていたプレドニンの反動なのか、やたらとアレルギーが出てきて大変でした。
非常に痒くなったり、蕁麻疹がでたり、鼻水、かゆみ、涙。特に今年の花粉辛かったです il||li _| ̄|○ il||li
今もアレルギーの薬は飲んでいます。いい傾向なのか、悪い事なのか、苦労はまだまだ続くようですね(ノω・、) ウゥ・・・
仕事に関しては私はバイト自体長続きができずに、すぐ辞めると言う形が多く、今は働く事に対する恐怖心がでていて、仕事自体やっていません。いわゆる、ニートと言うのです。
もともと働く事に対しての経験もなく、体調がよくなってからの手探り状態で、今の自分に対する新しい壁のようです。
他の皆さんは多分、普通の人と同じような生活を送っていると思いますが、どこかで不安などを抱えてるのかと存じます。
私はこの7,8年間の闘病生活が余りに波乱万丈だったが為に働くことや、将来の事に対して不安を感じています。不安と言うよりも勇気をなくしました。立ち向かう勇気が私にはまだなく、家でのんびりとした生活をおくっています。
でも・・そんな時もありますよね。今はそんな時期なんだと割り切って今までやってきました。
今回も今はこんな時、でもやれる時がきっと来る。そうおもって毎日ぐうたらな生活を送ってます。
最後に、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
ここに書いた事は全て本当の事ですが、思い出しで書いているので、ちょっと内容があやふやなものなどがあります。他にもまだ書ききれなかった病状などもありますが、私の病歴の中の代表的な事を書きました。
内科で治療している方、これから外科治療をする方、全ての治療が終わってる方、友人・家族が潰瘍性大腸炎の方、いろんな方がこの病気で苦しみ、かつ戦っていると思います。私はそんな人達を応援したい。いち病人だったと共に経験者である事で何かお役に立てたらいいなと思っています。
いろんな治療法を探るのもいいですが、内科での完治はほとんどありえないと思っています。(まれに完治した方はいます)
最悪、やはりオペにたどりつくのではないでしょうか?もしそうならば、早めに行く事をお勧めします。
一人でもこの潰瘍性大腸炎に負けずに強く生きていける事を望みます。
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