にくきう さん 女性  2004年8月、28歳の時にIACA方式(一期)でオペを受けました。 UC歴は11年、左側・再燃緩解型、入院回数は手術前4年間だけで7回、ステロイド総量は10000mgをゆうに超えていました。 使用した薬はペンタサ、サラゾピリン、プレドニン、免疫抑制剤、ステロネマ、プレドネマ、抗うつ剤、精神安定剤、ロペミン、フェロベリン、ラックビー、ビオフェルミン、色々な胃薬などなど。 GCAPは、なんと80回近く受けました。 ■手術を決めた理由 私は、手術を受ける5年ほど前から、手術を希望する珍しい患者でした。私の大腸は、緩解時の見た目がきれいで、どんなにひどい症状でもCRPがほとんど上がらないという、哀しい特徴があり、いつも検査結果と自覚症状が一致せず、苦労(?)していました。 それでも、内科医の先生の励まし(説得?)で、手術前2年間は完全にステロイドを切っていました。もちろん、その間は何度も再燃し、免疫抑制剤やGCAPでしのいで来ましたが、仕事どころか家事もろくに出来ず、再燃時以外でも体力的に生活の制約があること、入院回数と通院回数の多さ、精神的な負担の大きさなど、あらゆる面で限界を感じるようになり、手術を決意しました。 ■手術7週間前 通常の外来の時、ドキドキしながら内科の先生に「オペをしたい」と相談しました。 最初「・・・なんで?なんでしたいの?必要ないよ」と、予想通りに一蹴されました。それでも頑張って、私の意見を先生に伝えているうちに、それまでに積もり積もったものが溢れて、涙がボロボロ出て来てしまいました。普段、人前ではほとんど泣かないので、先生は大変驚いて、「じゃあ、とりあえず内視鏡させて」と仰いました。(検査は、内科医特有の「手術引き延ばし作戦」の常套手段です) 内視鏡は大嫌いですが、手術を受けるためだ!と了解しました。 ■手術6週間前 皆さんが大好きなニフレックを充分に楽しんだ後、病院に向かいます。内視鏡はいつも通りに痛かったのですが、その後の内科の先生の説得の方が、もっと痛かったです(笑) 内視鏡室で1時間以上、二人きりで延々と説得されましたが、「私の今の状態に関して、外科の先生の意見を聞くだけでもいいから」とムリを言って、次の週の外来で紹介状を頂きました。 ■手術4週間前 大変信頼できる外科の先生に相談しに行きました。その先生は内視鏡の結果よりも、私の普段の生活の事をたくさん聞いてくださいました。そして、日常生活における肉体的制約が多いことから、「手術をしましょう」と仰ってくださいました。私の長年の夢は、叶ったわけです。 ■手術2週間前 私の住んでいる東京地方では、40度近い日が続き、健康な人でも熱中症でバタバタ倒れる始末。クーラーが苦手な私でも、クーラーなしでは生きていけないような暑さの中、とうとう再燃してしまいます。 しかし、執刀して下さる予定の先生が学会でいらっしゃらなかったため、内科時代にお世話になった、主治医ではない先生に助けを求めました(なんとなく、主治医の先生には相談しにくかったので)。ペンタサ注腸を出して頂いたのですが、これがまた、バカ効きでした。3日間で復活します。 ペンタサ注腸さえあれば、ステロネマやプレドネマの様な危険な薬はいらないのでは??と思ったり。 ■手術3日前 緩解状態のまま、初めて外科に入院です。お小水を溜めろやら何やら、結構うるさいです。 レントゲン、呼吸器検査などをします。明日の検査のために絶食なので、点滴が始まります。病室が寒く、湯たんぽを貸して頂きました。 ■手術2日前 浣腸のあと、注腸バリウム検査。内視鏡の結果と違い、先生も驚くほど悪かったです。 そういえば、前の病院に通った5年の間、注腸検査は一度もしなかった・・・。 その後、その結果を元に手術の説明を受けます。「この大腸なら、取った方がいいですね。これから先、どんな治療法ができても、これ以上の回復の見込みはないですね。」と言われました。 ■手術前日 採血やお腹のマーキングをします。一応ストマの位置を決めて、写真撮影。おへその掃除(とてもキレイ!と褒められました)、麻酔科の説明など、結構人の出入りが激しかったです。剃毛はしなくて良い、とのことでした。内視鏡用の食事なので、下剤もナシ。夜は最後のお風呂に入り、眠剤を飲みます。 ■手術当日 朝8時、家族に送られてオペ室へ。目がすごく悪いので良く見えなかったのですが、たくさん人が居ました。硬膜外麻酔は一発で入り、全く痛くなかったです。仰向けになり数秒後、意識を失います。 次に気が付くと、ものすごい寒さと激痛に襲われました。「寒い〜!痛い〜!」と訴えていました。 夜までは、何とか耐えられたのですが、その後、左わき腹と傷口の左側にかなりの激痛が続いて、一晩中苦しんでいました。痛みがひどい時に、自分で押してピュッ!と体内に入れることのできる麻酔は、何故か禁止でした。(人によって違うらしいです) 痛み止めや眠剤を点滴して頂きましたが、ほとんど無効。 普通、手術当日の記憶はほとんどない、と言いますから、私の場合、麻酔科医の先生の腕に問題が・・・(笑) 便管、尿管、鼻管、腹腔ドレーン、硬膜外麻酔、点滴ライン2本、酸素マスクで、管だらけ。 ■手術後1日 朝もまだまだ激痛が続き、痛みの場所が変わってきて、おへその下を中心にお腹全体が破れるような感じでした。同時に生理になり、もうサイアク・・・。 痛くて苦しんでいるのに、看護婦さんに全身を拭かれました。本当はこの日から歩かなければならないのですが、それどころではなく、痛みで呼吸が浅いため、何度も全身がしびれました。 それでも夕方に打った強い痛み止めが少しずつ効いてきて、夜には我慢できる程度にまで落ち着きました。トイレに行かなくていい生活は初めてだったので、その辺は大変ラクでした。 ■手術後2日 昨日までとは打って変わって、定期的に自動で入る硬膜外麻酔が効いていたのか、痛みがあまりありませんでした。初めて歩きましたが、かなり大変で、ほんの少ししか歩けませんでした。尿管を抜いたので自分でトイレに行かなければならず、まだ血圧をコントロールできないので、フラフラでした。その時の胸の苦しさは結構なものでした。尿を全量溜めなくてはいけなかったのも、息をしづらい身には堪えました。 ■手術後3日 昨日と同じく、痛みは少なかったです。歩くと足がだるくて、夜眠れず、でも寝返りが打てなかったので大変でした。歩こうとしたら一気に血圧が下がり、倒れました。 毎日毎日、病室に看護婦さんが来るたびに「歩け、歩け」と言われます。分かってるってば・・・ ■手術後4日 車椅子に乗ってレントゲンを撮りに行きます。寒いわ苦しいわ痛いわ・・・看護婦さんがシャンプーしてくれましたが、前屈みだったので、これまたつらかったです。 ■手術後5日 「便を溜める袋がくさい〜!」と看護婦さんに訴えたら、芳香剤を持って来てくれたのですが、こっちの方がくさいっつ〜の!息苦しさ、オシリの痛み、背中の痛みなど。でも、歩かないとね。 ■手術後6日 看護婦さんがシャンプーしてくれたのですが、髪をぬらした時点で置いてきぼりにされ、仕方なく自分で洗いました。点滴している腕を使えないので、なかなか・・・大変で・・・。傷は痛いし、腰は痛いし、腕は疲れるし、それなら洗ってくれないほうがマシでした。本当に優しい看護婦さんです(笑) その後、ベッドに倒れます。 ■手術後7日 朝、術後初めて洗面所で顔を洗いました。午前中、便管を抜きます。注腸検査も異常なし。くさい袋ともお別れだ〜! 水分解禁です。オシリから水が出ます。やたらにデカイ尿とりパッドをオシリにあてます。 ■手術後8日 朝起きると、少し便(水様)が漏れていました。結局、私が漏らしたのは、この時が最初で最後でした。オシリのしまりがいいみたいです。トイレの回数は10〜13回ほどでした。お小水だけするのはかなり難しい! この日、お腹のドレーンも抜いてしまいます。流動食が始まりますが、あんまり食べられませんでした。それでも、ものすごい勢いで腸が動き、痛い〜!燃えた蛇がお腹の中で暴れる感じです。だんだんその痛みが強くなり、いつからか胃が気持ち悪くなってきました。案の定、夜には眠れないほどの下腹痛、そして、水様便が出にくくなります。看護婦さんに「腸閉塞になりかけてるんじゃないですか?」と訴えますが、ただ「もっと歩きなさい」と言われただけでした。 ■手術後9日 気持ち悪くて、どうしても朝食が食べられない。体がつらくて動けない、でも歩かないと腸閉塞になる。「うわ〜、どうしよう〜!」と思っていたら、突然ゲロゲロゲロゲロ・・・。緑色の腸液を450ccほど吐きました。レントゲンの結果、ガスが詰まって腸がむくみ、腸閉塞になりかけている、とのこと。 早速細い鼻管を入れ、胃に上がってきた腸液を外に出します。イレウス管を入れる羽目にならなくて良かったのですが、なりかけの腸閉塞でも充分に痛かったです。たくさん吐くので脱水が進み、全身がしびれて暴れてしまいました。吐くたびに、腹腔ドレーンを抜いたお腹の穴から、空気やら液やらが大量に出て、下着やパジャマが汚れ、何度も取り替えました。 ■手術後10日 眠剤も効かず、一晩中激痛に苦しみましたが、朝方6時にトイレに行って便をしたら少し良くなってきました。午後には腹痛も少しずつ治まり、詰まっていたガスも出はじめました。また歩き出します。 ■手術後11日 手術後一番良く眠れました。レントゲンの結果も良く、胃から何も引けないので、先生に無理を言って鼻管を抜いて頂きました。すっきり! ■手術後12日 傷口が傷むくらいで、腸が動くとき以外は特にひどい腹痛はありません。ガスも頑張って出します。手術前10年間は踏ん張らなくても便が出たので、ガスを出すために踏ん張るのが結構大変でした。手術後、初めてシャワーを浴びました。水分解禁です。水、お茶などを少しずつ飲みます。 ■手術後13日 朝、体重を量ったら、手術前より5キロ痩せていました。お小水がたくさん出るので、夜も2時間おきに起きます。お小水だけ出すことはできないので、便も一緒に出ます。この頃のトイレの回数は、1日10回ほどでした。お腹が空いたような感覚も少し出てきました。ガムやキャンディーをとことん楽しみます。自分なりに結構歩きました。 ■手術後14日 流動食開始です。1割ほどしか食べられませんでしたが、気持ち悪くはならなかったです。便が全然漏れないので、尿とりパッドをやめ、生理用ナプキンに変えました。売店へ行って、キャラメルなどを買います。食べ始めたので、トイレは12〜3回ほど。歩く距離を増やします。 ■手術後15日 前日、トイレの回数が多かったので、寝ている間に漏れちゃうかな?と思いましたが、全然平気でした。おかげでオシリかぶれが全くありません。むしろ、残した直腸と小腸のつなぎ目が痛くて、上手に座れません。ドレーンを入れていた穴が全然ふさがらないので、見た目が気持ち悪いです。パックリ穴があいて、中の脂肪が見えてる・・・それなのに、どうして全然痛くないのかしら・・・。 三分粥にアップ。血便が少し出ます。 ■手術後16日 順調にガスが出るようになって来ました。水様便がほんの少しだけ固まってきます。 ■手術後17日 朝から五分粥。点滴が一日一本になります。オシリの中が痛いので、痔の薬を入れます。血便は続きます。トイレは1日10回。 ■手術後18日 就寝中も2回ほどトイレに行きます。オシリの中と、肛門の周りの筋肉が痛い!点滴から解放され、いい気分です。リハビリの意味も込めて、毎日シャワーを浴びます。 ■手術後19日 下痢止めを飲まずに1日8回。傷口がとてもキレイだ、と先生や看護婦さんたちに褒められます。全粥にアップです。お昼からフェロベリンを飲みます。一度に2錠飲んだら、ガスが止まってしまいお腹が張ってしまったので、1日3回、1回1錠にします。 ■手術後20日 お腹の張りも良くなりました。血便はとまりません。 ■手術後21日 初めて夜中にトイレに行きませんでした。食事をした後のほうが、比較的トイレが多いです。階段の昇り降りを開始。退院が3日後に決定します。 ■手術後22日 朝食後、色々することがあってトイレに行きそびれていたら、そのまま便意を忘れてしまいました。ドレーンの穴がようやくふさがりました。病棟で始まったラジオ体操に参加。退院後の注意、薬の処方などを受けます。トイレは1日7回。 ■手術後23日 出血が少し減ってきたような感じです。明日の退院を前に、荷物と心の整理です。既に自分の部屋のようになっていたので、ちょっと寂しい感じもしました。トイレは1日6回。 ■手術後24日 とうとう退院です。術後の平均的入院期間が21日間ということなので、上出来です。日曜日だったので、先生も看護婦さんもまばらでした。仲良くなった患者さんにも挨拶。 ■退院後の生活 とにかく、たくさん歩くように努力しました。家の中にいるときも、廊下を歩いたり、段差で踏み台昇降をしたり、ストレッチをしたりしました。 内科時代、結構食事制限をしていたのですが、退院直後はその頃と変わらないような食事をしていました。食に関する欲求が少なかったので、「手術したら、これが食べたい!」というものもあまり無かったです(つまらないですね) 水分だけは、こまめに摂るように心がけました。 外出時、ウォシュレットの無いトイレで用を足すのが気持ち悪かったので、携帯ウィシュレットと、サニーナというおしり拭きスプレーを買いました。 デパートはトイレがキレイなので、散歩ついでによく行きました。 ■食事に関する注意 食事制限がなくなるのですから、何を食べてもいいわけですが、やはり大腸がないので、少しは気をつけたほうがいいと思います。 食べ過ぎないことが一番ですが、食べてみて体に合わなかったものを見極めることが大切だと思います。大丈夫な物でも、一度に大量に食べたり飲んだりするのは避けたほうがいいと思います。 ■入院時に便利だったもの @カメラ  摘出した大腸の写真をご家族に撮っておいて頂くと、あとで友達に自慢できます(?)そして、その友達は数日間ホルモン焼きが食べられなくなります。ご家族の方も、怖がらずに是非、写真を撮ってくださいね。 A円座  オシリに便管が突き刺さっていますので、そのまま椅子に座ることができません。便管を抜いたあとでも、オシリが痛いので円座があったほうがラクです。退院後も便利です。 B前開きワンピース  体中に色々な管が刺さっているし、看護婦さんに着せて頂いたりもするし、お腹を見せる機会がとても多いので、とても便利でした。ドレーンが抜けたら普通のパジャマでいいです。 C吸い飲み  一時期、起き上がる力も吸う力もない軟弱者になるので、ストローよりも便利です。 D柔らかいトイレットペーパー  病院のトイレットペーパーは固いので、使うとオシリがヒリヒリしてしまいます。ここは贅沢に、ダブルなんかを使ってしまっても、バチはあたりません。 E水戸黄門  毎日同じ時間に、世界一人気のあるマンネリを感じることができます。その時間に回診が当たってしまうと、無類の水戸黄門好きだと誤解されます。 ■現在の生活  術後半年の現在、トイレの回数は1日4〜5回です。飲んでいる薬は、フェロベリンが1日3回、1回1錠とラックビーだけです。回腸嚢炎の予防のために、ミルミルを1日1本飲んでいます。  便の形状は水様だったり、少しだけ固まっていたりと、まちまちです。1日の中でも違います。 基本的に何でも食べていますが、繊維の大きいキノコ類やタケノコ、こんにゃく、海藻、セロリ、柿、梨、辛いものなどは食べていません。お野菜の皮や、大豆の皮なんかにも気をつけています。もともと脂っこい食べ物が苦手なので、和食中心の高タンパク低カロリーな食事です。 腹痛は全くありませんし、血便もいつしか止まっていました。たまに白い藻のような腸液が出ますが、全然気にしていません。肛門の痛みや、オシリの筋肉痛もありません。 漏れも全くありませんので、外出時も何もあてていません。寝るときだけは一応、トイレットペーパーを重ねてオシリにあてています。 残した直腸と小腸のつなぎ目が狭くなっていて、2〜3ヶ月に一度の外来のときに広げて頂いていますが、「狭い」という自覚症状はなく、広げてもらったからといって何ら変化はありません。 手術前には考えられなかった快適な生活を送っています。トイレも我慢出来ますし、再燃もないので、精神的に解放され、毎日が楽しいです。お友達との約束もドタキャンしなくて済むようになりました。 だからといって、患者さんみんながみんな手術すべきだ、とは思いません。ご自身の限界を感じたとき、選択肢の一つとして手術を考える、その程度でいいと思います。 ■内科治療について 手術は痛いし、大変です。全身麻酔をするので、命の危険さえあります。手術自体を漠然と「怖い」とお考えの方も多いと思います。 しかし、私にとってみれば、ニキビだらけの顔をパンパンに腫らして、肩の筋肉も盛り上がって、髪の毛も抜けて、ムダ毛が増えて、骨もボロボロになって、白内障になって、それでもまだ内科医の言うことを聞いて大量のステロイドを飲み続けることのほうが、よっぽど怖いです。そこまでして自分の大腸にこだわる必要もないし、自分の人生なのですから、自分の頭で考えたほうがいいと思います。 ステロイドを飲み続けることは、本当は異常なことです。少量のステロイドで症状が治まるなら話が別ですが、毎日ふたケタ以上のステロイドを飲むことに関して、感覚が麻痺している人があまりに多いと思います。注腸ステロイドも同じことです。局所だから副作用が少ない、なんて内科医の先生は仰いますが、あれはウソですよ。大腸から吸収しているんですから、副作用は大いにあります。 痛みや苦しみを我慢して、自分の体をむしばむ危険な薬を飲んで、自分の生活を制限しながら生きることを、「当たり前」にしてはいけないと思っています。病気を理由に、色々なことを諦めてはダメだと思います。 ■ご家族の方へ  自分の子供が、親が、恋人が、パートナーが、何故こんな病気になってしまったのかと、考えることもあるかと思います。現代医学をもってしても完治しない病気に、理不尽さを感じることもあるでしょう。その思いが一番強いのは患者本人です。一番つらいのも本人であり、一番納得行かないのも本人です。だからこそ、一緒に闘ってあげてください。話を聞いてあげてください。理解してあげてください。  この病気で一番つらいことは、その痛みでも苦しみでもなく、周囲に理解されないことです。医者でさえ仕組みが分からない病気ですから、病気に縁のない人になんか、分かるはずがないんです。周囲の誰かの理解を得られず、患者本人が精神的に苦しんでいるとき、心の支えになってあげてください。決して、病気になった本人を責めないでください。  幸いなことに、私の家族や友人は病気に関しての理解度が大変大きく、すべてを受け入れてくれましたし、いつでも心配して、全面協力してくれました。手術をして元気になった私を見て、みんな泣いてくれました。  お世話になった内科の先生方も、ステロイドをいかに切るか、ということに重点を置いた治療をしてくださいました。本当に感謝してもしきれないくらいです。  大変長くなりましたが、以上が私の手術体験記です。少しでも皆様の参考になれば、幸いです。 2005年1月 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ そらさん 女性  そらの闘病記録 初めまして、そらといいます。こちらはハンドルネームですが、私自身気にいっておりますので空とよんで下さい。私は名古屋在住の今23の女性です。 〜〜〜内科編〜〜〜 私は中学3年の15歳の時に名城病院で潰瘍性大腸炎と診断されました。 その前からおなかの調子が悪く、いつの間にか、下血するようになりました。余りにひどい下血なので、病院に行ったら、即入院になりした。貧血もひどく、歩くだけでふらふらして、トイレも便を出すと言うよりかは、血を出すだけの状態でした。ものすごく気分も悪く、意識がなくなる位でした。 内視鏡をした後に潰瘍性大腸炎と診断され、最初からかなりの重症で腸全体でした。 その時が始めての入院だったので、色々不安でした。 今まで、自分は風邪以外の病気にかかったことはなかったので、両親ともどもびっくりしました。ショックを受けながらも、最初自分は重い病気だとは認めませんでした。 最初の治療は点滴と食事制限とサラゾピリンでした。 一時期、それで良くなる傾向のあったのですが、修学旅行前を控えて突然下血をしてしまい、修学旅行を諦めて、プレドニンを追加で使う事になりました。 それ以後決してプレドニンがきれる事がありませんでした。 途中、生理が来なくなったので、サラゾピリンから、ペンタサに変わり。いつのまにか、座薬のリンデロンも増えました。 中学3年の時は入院は2回ほどしましたが、毎回3ヶ月半と言う長い期間でした。入院するたびにプレドニンは倍の量に増え、体にも少しずつ異常がみられるようになりました。 ムーフェイスから始まり、免疫低下、食事制限によるストレスの暴飲暴食、骨粗しょう症。 高校に上がる時には、ドクターに無理を言ってプレドニンを急激に減らしてもらいました。その結果、精神異常も見られるようになり、私は高校に入学する頃、精神がおかしくなり入学してまもなく自殺未遂をしました。急いで病院に運ばれ私はその後、半年くらいの記憶はほとんどありません。本当は死にたくなかったのでしたが、追い詰められた自分にはどうする事もできずに死を選んでしましました。後から聞いた話、この病気になって、ステロイドを使ってる人達のなかに、自殺未遂、または、自殺をされる方は多いようです。 私はいつのまにか精神科にかかっていました。そこで出される薬もきつくてたくさんの副作用が出ました。顔の筋肉がこわばってしまって、笑えなかったり、無口になってしまったり、幻覚を見たり、不可解な行動を取ったり。 しかし、薬が効いてきたのか、半年後位には治る兆しが見えてきて、冬には正常になってきました。そう言うわけで私は学校を留年してもう一度、1年生から始めました。 精神がやんでる時にプレドニンの量は減らず、ずっと同じ量でした。 残りの高校3年間は毎年必ず入院をするという事をしていました。 なかでも、特にひどかったのが、高校2年の時の春の骨粗しょう症による、圧迫骨折でした。大量のプレドニンで私の骨はすかすかでした。しかし、ドクターはカルシウム不足になる事がわかっていたにもかかわらず、若いからという事でカルシウム剤とかはもらっていませんでした。そのために私はストレスによる暴飲暴食で太ってしまった体を支える事ができなくなり骨は潰れてしまいました。 それにより、私は7センチ身長が縮みました。それだけではなく、太りすぎた体には妊娠線とも呼べる皮膚線状が体中に出ていて、おまけに両足のすねは皮が薄くなり、内出血しており、青紫色をしていました。時にはきれたような痛みが走りました。 3ヵ月半入院して、そのうち2ヶ月は寝たきりの生活でした。その後リハビリをして、何とか歩けるようにはなったものの、杖をつきながらではないとものすごく危なかしい状態で、骨も全然弱く、転んだらまた、骨折してしまう状態でした。 その後、退院後私は高校2年から、杖をついて学校に行くようになりました。 古い高校だったので、色々体の為に手すりを付けるなど、申請しました。クラスも2階だったのを1階に変えてもらいました。 この時は大腸の調子はよかったのですが、思わぬ副作用で痛い目に合いました。 そのまま、高校3年生を向かえる事になりました。 私は大学に行こうにも、体調が、あまりに悪く、どこも受けれませんでした。 しかし、単位が毎年足りず、この時も単位不足でした。また、入院をしていた頃に「もうこれ以上休めない」といったら、病院から、高校にかよう事になりました。 そして私は病院と高校と家の行ききが始まりました。母が車で送り迎えをしてくれたので、助かりました。 薬は相変わらず変わっておらず、減らそうとすればすぐに悪化すると言う事を繰り返していました。 そして、いつしか、高校卒業を向かえる事になりました。私の体は、卒業式は出ないほうがいいんじゃないと言われるくらいでした。しかし、最後だったので気合を入れて行ってきました。 そしてその後緊張の糸がきれたのか、体がどんどん悪化していきました。 内視鏡をして見ると、さらに全体的に炎症が起こっており、S字結腸の辺りに便をふさぐような形で腫瘍ができており、その奥には拡大結腸で胃のように腸が肥大していました。ずっと使っていたリンデロンもステロネマに代えましたが、効果はありませんでした。 また、ヘルペスにかかったり、糖尿病にかかったり、肺炎を起こしたり、膿皮症を起こしたりと、様々な感染症や、副作用が出てきました。また、圧迫骨折で生活が不自由になったので身体障害者を取りました。 そういうわけで、、内科では、治療できないと言う事で、手術をする事になりました。 しかし、私が行っていた、病院は専門家がおらず、転院と言う事になりました。 ドクターが横浜市民病院を紹介してくれましたが、私は自分で探した病院にしてくれと、資料を持って頼みました。そこが、三重大学医学部付属病院でした。 しかし、体調が安定せず、なかなか外来に行く事が出来ずに、行ったのが、初夏の事でした。その後、楠教授の診察を受けて、呼ばれ次第、三重の方に移る事になりました。 呼ばれるまで、私はそのまま名城病院に入院してました。 〜〜〜外科編〜〜〜 やっと呼ばれて、三重大に入院する事になりました。 その時の私は副作用の嵐でした。今までのプレドニンを換算したところ、4万9千mgほど使っていたそうです。(普通1万から2万rまで達したら、即手術対象です)そして、体の写真も撮られる事になりました。(参考のため) すぐにオペをしようと言われたのですが、肺炎が再発してしまい、結局手術は延期になりました。幸い大腸は安定していたので、肺炎と、糖尿病が落ち着くまでに内科に転科しました。そのかいあってか、私は、手術をするまでに肺炎を治し、糖尿病を落ち着かせる事ができました。しかし、それでも、オペで何が起こるかわからないと言われていました。 そして、9月にオペをしました。私のオペは、3期でした。 一回目は大腸を直腸だけ残し、残りを全て取り、人工肛門をつけるというものでした。 オペの時、点滴でステロイドを注入する事になりました。体には沢山のステロイドが必要だそうだからです。 種類は違いますが、200mmほど入れたそうです、その後100mm、50mmと減らして飲み薬にしていきました。(点滴は量は多いですが飲み薬よりもずっとステロイドの量は少ないようです。だから沢山入れます) 普通の人なら背中の脊髄に痛み止めの点滴を打つのですが、私の圧迫骨折の為に痛み止めはなしになりました。 オペにかかった時間は覚えていませんでした。手術室に行くまでに私はずっと緊張して怖かったです。 気がつけば、私はICU(集中治療室)にいました。大事を取って、そこで様子を見ると言う事だったようです。ステロイドのせいか、じっとしてることができない時もあり、なにかと、痛いのを我慢して寝返りを打とうとしていました。たくさんのチューブや点滴、血圧計などたくさんのコードが私の体についていて、とくに鼻のチューブは気になって仕方ありませんでした。お腹には人工肛門がついていました。麻酔が覚めてからずっと、ボーっとして、疲れているのに、眠れなくて、痛いのに痛み止めが効きかなくてかなり辛かったです。気がついた時には両親も少しの間だけそばにいてくれました。無事に終わってほっとしていたようでした。 体調は安定していたようなので、ICUには1日だけいて、すぐに外科病棟に移る事ができました。移動する前に鼻くだを取ってくれとせがんでやっとの事で楽になりました。 その後、次の日から起き上がる練習から始まって、順調に歩ける位になりました。ただ、太っていたので、妊婦さんのようにおなかを支えてないと、縫ったとから、重みで内臓が飛び出てきそうな感じがしました。 食事も3日目か4日目から始まって飲み薬も開始しました。 重湯から、だんだん普通食になって行きました。多分オペをした皆さんが同じ事を思ったと思いますが、いきなり、脂っこい食べ物がどーんと食事に出てくるので、ホントに食べていいのかな・・と思いかなりびっくりしたと思います。私もその一人でした。恐る恐る複雑な心境で食べました。オペ後のせいなのか、欲求不満がなくなったのか、たくさん食べたいという気持ちは少しずつ減っていきました。そして人工肛門のおかげでトイレも楽でした。 人工肛門(パウチ)は適度に排泄物を出せば、時に問題ありませんでしたから。 しかし、私の場合は大腸が一部残ってて、まだ、肛門に繋がっています。そしてその反対側の切った先端はおへその下の辺りから出ていました。私の場合、人よりも腸液が多いので、生理用品や尿取りパットで漏れを防いで、おへそのとこはガーゼをしていました。下は何とかなるのですが、ガーゼは横から漏れてきたり、しみてきたりして、しょっちゅう変えていました。 パウチの方も全てが順調ではありませんでした。 お腹がぶよぶよしてて、なかなかうまく装着できず、漏れたりして肌が荒れてしまいました。小腸の腸液はアルカリ性なので肌に触れると、すぐに荒れてしまうんです。私はよくおなかが荒れてて、かなり痛い思いをして来ました。ストマ外来の時に初めて自分に合ったのを見つけて一安心していましたが、やはり、順調と言うわけにもいかず、ちょくちょく漏れては、自分で処置していました。 1回目のオペが済んで家で療養してる時の年明けのころ。そこそこ順調になってきて、暇だったので成人式の日に自動車学校に通う事にしました。そして、毎日、暇な時間を学校に行って、自動車の練習をしていました。 体調は普通なら残りの大腸が炎症を起こさないはずなのですが私は炎症を起こしてしまったようなので、座薬を入れていました。しかも、肛門からではなくへそ下にできた大腸から入れていました。なんとも変な気持ちでした(笑) 途中イレウスっぽい事があり、途中で入院して行けなくなったりしましたが、がんばって仮面許まで取っていました。学生も多くなかなか授業を取る事が難しく後少しと言うところで、2回目のオペに呼ばれました。そんなわけで自動車学校はお預けになりました。 3月に2回目のオペが始まりました。 1回目とは違い、そこそこ順調に事が運べました。糖尿もほとんど安定しており、骨も最初に比べてだと少しだけましでした。 いつも通りの検査や説明を受けていざオペ台へ。 今回は残りの大腸を摘出し、小腸をJポーチ型にして、再び人工肛門と言うオペでした。 オペ時間は2時間くらいでしょうか、2期でオペをしてしまう人の一回目のおぺを2回に分けてやっているのもですから、時間自体は短かったと思います。 オペ終了後相変わらず沢山のチューブに繋がれており。サイボーグかと思えるほどでした。 今回は肛門からもチューブがつなげられており、なんとも嫌な感じでした。 オペ後自体、順調で2日目には歩いていました。若いおかげで回復や動くのが早いようでした。 ストマは同じ場所に新しくできておりまだ、腫れていました。1回目の時と同じように処置をするので、かなり手馴れたものでした。だんだん、看護婦さん並に処置もできるようになりました。 今回も順調に落ち着き、オペ後1週間から2週間の間には退院していました。 退院後、落ち着いてから、残りの自動車学校へ行って免許を取って来ました。 ストマは相変わらず、漏れなどがあり、ひどくなる事がよくありました。 特に腸液が傷の上にかかり、ポケット状になって腸液がたまり、どんどん皮膚がただれていき、大泣きした事がありました。 即、緊急で外来に行き、ポケットの底にたまった腸液を流すためにチューブを入れました。 その3日後に再び外来に行き、チューブを抜き、再び、地道に処置をしていきました。 このようによくただれてしまうので、医師は「早めにオペをしよう」と言っていましたが、だんだん、治る見込みが出てきたので、この傷が治ってから、3回目のオペをする事にしました。 そして、2回目から約4ヵ月後、傷が治ってきた頃に3回目のオペに呼ばれました。 三重大にかかって約1年、ようやく潰瘍性大腸炎に終止符をつける時が来ました。 3回目はクローズのオペ、人工肛門を閉じるオペです。 さすがに3回目になると、慣れたもので、結構平然としていた感じでした(笑) オペ自体も1時間半くらいで早かったと思います。 しかし問題はこの後でした。 オペ後、腸が肛門につながったので、トイレ回数が半端じゃなかったのです。 わかっていたものの、実際なってみると、なかなか辛いものですね。 トイレから出たのに、再び入る、夜中は二時間おきや、オムツをして漏れたりするので大変でした。 しかも、今度は腸液や便が漏れる事によるお尻のあれが半端じゃなかったのです。 最悪血がでたりしてかなりしみていて、私のお尻は常にあれていました。 それでもかなり順調だったので、オペ後2週間もしないで退院しました。 やっと全てが終わり、安心して家に帰りました。 しかし、全てが全て順調ではありませんでした。 退院して4日後、オペして丁度2週間してオペをした当たりに激痛が走りました。 余りの痛さに、かなりうずくまっていました。 母に、車で三重大に連れてってもらい、緊急で見てもらい、即入院しました。 検査をした結果、おなかの中での、便漏れはなかったのですが、縫った腸の辺りが腫れあがり水が出ていました。 お腹に注射器をさしその水を検査したところ、無菌で害はなかったそうなので、ほっと一息でしたが、原因は不明でした。 しかし、「もう起こらないよ」とおっしゃってくれたので、私も親もほっとしました。 1週間の絶飲食の後、徐々に食べるようになり、2週間で退院しました。 飲み薬のステロイドはずっと飲み続けていました。 離脱が難しく、なかなか無くす事ができなかったのです。 それでも徐々に徐々にゆっくりなくしていく事にしました。 退院して、2ヵ月後、体調もいい感じになり英会話を習う事にしました。 そして、時に入院をしたりしましたが、かなり順調で楽しくやっていました。 英会話を初めてもうすぐ1年と言う時に、やっとステロイドが全てなくなりました。 長い長い、闘病生活も終わり・・そんな風に考えていました。 しかし・・・長年飲んだステロイドは簡単には開放されなかったようです。 〜番外編〜 3回目のオペ後から半年後くらいでしょうか、右わき腹と、背中が非常に痛くなり、気持ち悪くなる時がありました。それは、発作のような感じでした。 丁度英会話の終わり2ヶ月前に(8月)連続して遊ぶ事があり、かなり疲れていた時がありました。 最後に友人達と郡上八幡に行った帰り、だんだん、体が気持ち悪くなり夕食が食べれないくらいでした。 家についてすぐに休みましたが、体調は優れず、気分がわるいままでした。 お昼ごはんを少し食べたら、猛烈にひどい痛みが走り、七転八倒しました。冷や汗も大量に出て、私は痛みで転げ回っていました。 いつもの痛みとは違ったので救急車を呼び、地元の名城病院へ行きました。 そして胆石が落ちた事がわかりました。 おまけに、オペをしないと再び同じ事が起きるという事で私はショックを受けていました。 オペは内視鏡で小さな穴を空けて取れるのだとばかり思ってましたが、私の場合すでに大きなオペをしているので癒着しているだろうと言う事で開腹するしか方法がありませんでした。薬で散らせないかときいても、それは腎結石にしか通用しないと言っていました。 受けるしか方法がなく、地元に病院で落ち着いた後、再び三重大学に行きました。 ステロイドや、オペ後からなる合併症かどうかはわかりませんでしたが、再び、同じ先生のチームの人がやってくれる事になりました。 話しによると、私のように胆石になった人は私が初めてだったようです。 今回もステロイドを注入しながらいぺをオペをやる事になりました。 なぜならステロイドをなくしてまだ、1週間やそこらの私には、体がまだ、ステロイドを必要とするからだそうです。 再びステロイドの生活が始まる事になりました。 今回は胆石なので、簡単だと先生はおっしゃっていました。 実際に、オペ時間も1時間半くらいで短く。回復も早かったです。 傷も小さく、美容系の縫い方をしてくださいました。 簡単とは言いましても、今回はショックが大きかったです。が、もうこれでオペが必要ないと思うとやっと安心しました。 その後、数ヶ月かけて、プレドニンをなくしました。 副作用による後遺症が残ったものの、これでホントに安心しました。 今私は毎日をエンジョイしています。 将来に対する不安や働く事に対しての恐怖感などはありますが少しずつ克服して行きたいと思っています。 〜〜あとがき〜〜〜 現在私の体の調子は、そこそこいい感じです。v(。・ω・。)ィヱィ♪ 今ではステロイドを全部きる事ができ、楽な生活を送ってリます。 時々、油断をして、もらしたりなどちょくちょくありますが、荒れたお尻などは薬を縫って治してます。 残る治療としては骨関係です。半年に一度三重の整形にかかって検査をしています。 これに関しては10年単位で見てみないとわからないようですが、少しずつではありますが、回復方向へ向かっています。 後、私は女性なので、月経の調整です。長年飲んできたステロイドの影響により月経は不順です。これも徐々にですね。 ひとつ以外だったのが、アレルギーでした。 長年使っていたプレドニンの反動なのか、やたらとアレルギーが出てきて大変でした。 非常に痒くなったり、蕁麻疹がでたり、鼻水、かゆみ、涙。特に今年の花粉辛かったです il||li _| ̄|○ il||li 今もアレルギーの薬は飲んでいます。いい傾向なのか、悪い事なのか、苦労はまだまだ続くようですね(ノω・、) ウゥ・・・ 仕事に関しては私はバイト自体長続きができずに、すぐ辞めると言う形が多く、今は働く事に対する恐怖心がでていて、仕事自体やっていません。いわゆる、ニートと言うのです。 もともと働く事に対しての経験もなく、体調がよくなってからの手探り状態で、今の自分に対する新しい壁のようです。 他の皆さんは多分、普通の人と同じような生活を送っていると思いますが、どこかで不安などを抱えてるのかと存じます。 私はこの7,8年間の闘病生活が余りに波乱万丈だったが為に働くことや、将来の事に対して不安を感じています。不安と言うよりも勇気をなくしました。立ち向かう勇気が私にはまだなく、家でのんびりとした生活をおくっています。 でも・・そんな時もありますよね。今はそんな時期なんだと割り切って今までやってきました。 今回も今はこんな時、でもやれる時がきっと来る。そうおもって毎日ぐうたらな生活を送ってます。 最後に、最後まで読んでいただいてありがとうございます。 ここに書いた事は全て本当の事ですが、思い出しで書いているので、ちょっと内容があやふやなものなどがあります。他にもまだ書ききれなかった病状などもありますが、私の病歴の中の代表的な事を書きました。 内科で治療している方、これから外科治療をする方、全ての治療が終わってる方、友人・家族が潰瘍性大腸炎の方、いろんな方がこの病気で苦しみ、かつ戦っていると思います。私はそんな人達を応援したい。いち病人だったと共に経験者である事で何かお役に立てたらいいなと思っています。 いろんな治療法を探るのもいいですが、内科での完治はほとんどありえないと思っています。(まれに完治した方はいます) 最悪、やはりオペにたどりつくのではないでしょうか?もしそうならば、早めに行く事をお勧めします。 一人でもこの潰瘍性大腸炎に負けずに強く生きていける事を望みます。                                              おわり 2005年6月 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ちづるさん 女性  <歴史> H14 3/4 潰瘍性大腸炎と診断される ペンタサ、ラックビー、ステロネマ100 4月 短大入学 5月上旬 体調悪化 7/1 入院 プレドニン40、ペンタサ、ラックビー 7/30 退院 11月上旬 体調悪化 プレドニン5、ペンタサ、ラックビー    ↓ プレドニン10    ↓ +ステロネマ 12/3 入院(学校を休学) 12/6 セルソーバ 1回目 H15 1/21 セルソーバ 6回目 1/25 プレドニン40点滴に切り替え 2/3 +プレドニゾロン注腸 2/8 プレドニン30点滴になる 2/11 +イムラン1錠 2/19 イムラン2錠になる 2/20 転院(内科) 2/21 プレドニン30(経口)、ペンタサ、ラックビー 鉄剤注射(3/18まで) 2/28 外科へ移動 3/1 ステロネマ(OPまで) 3/12 OP 4/6 退院 <OPの動機>  12月の入院の時に、プレドニンの副作用の事を考え(た母が)治療を白血球除去療法(セルソーバ)にしてもらった。この治療のよくないところは、効果に個人差があることと、効果があらわれるまでに時間がかかること。私の場合は、徐々に効果が出て、セルソーバを5回したころにはトイレの回数も5〜6回までに減っていった。しかし、貧血がひどくなり、ベッドに30分座っていられないほどになりました。セルソーバでは寛解までいかないと思い、結局私が根を上げ、プレドニンへ変更してもらった。7月の入院では3日目でプレドニンの効果が現れて、私にとっては、プレドニンは副作用もあるけど、UCへの効果はそれを上回る価値のあるものと考えていた。ところが、今回は効果が出ない。他にも色々治療方法を試したのですが、どれも寛解までいかない。段々治療方法がなくなっていき、自然とOPを意識するようになりました。  OPに対して父は、「別に反対はしないけど、もしかしたらもう一回セルソーバをしたら寛解までいくかもしれないし、OPをしてすぐにUCの特効薬が開発されるかもしれないよ。大腸を取ってしまったら、やっぱりくっつけて下さいって言っても無理なんよ、分かってる?」 もし寛解しても、(以下思考回路) 無理せずに生活をするのは不可能と思う。 ↓ また入院する(自信があった) ↓ 入院した時に確実に効果がある(しかも早い)治療法がない。 ↓ 学校を休みたくない。(長期間休むのはすごく困る) 「うん。よく分かっとるよ。でもOPしたい」  こんな感じです。  やっぱり12月の入院の時にプレドニンが効かなかったのが大きかった。もし、12月の入院で7月のように効果が出ていたらOPには踏み切っていなかったと思う。 <OPに先駆けて>  情報を集めましょう。  どこの病院でOPをするかも大事ですが、OPを決める前に、OP後どうなるか?トラブルを起こすこともあるし、もしかしたら永久人工肛門になるかも・・・。いわゆる心の準備ですね。これは大事。  私は、体験談をたくさん読みました。母が色々インターネットから体験談を探し出し、コピーをして持ってきてくれました。いいことも悪い事も包み隠さず。  大阪IBDに入会し、入院中の私の代わりに母が直接OP済みの方の話を聞いてきました。お話をしてくださった皆様、紹介してくださったトキさん、ありがとうございました。 <OP後> 今のところノントラブルです。やったね! 退院後はまず、入院前に通っていた自動車教習所に通いました。期限が迫っていたので退院後2週間目から・・・。おかげで、免許証の写真はバリバリのムーンフェイスです。  12月に入院した時に学校を休学したのですが、めでたく学校に復学して順調に通っています。  困った事、というかOP前と変わったことといえば、やはりトイレ関係でしょう。  トイレは1人で行きます。こっそり、誰もいない時を狙って。なるたけ家で落ち着いてこもりたいので、学校では多くても2回行くくらいです。  ただ、我慢はよろしくない。  授業中はたいてい座りっぱなしだから洩れる心配はないのですが、変な音がします。お腹がグルグル鳴ります。たいてい昼食後に多いですね。「消化音だよ〜ん」と言って笑っときましょう。  あとは我慢しすぎた状態で歩いたりすると少〜しずつ漏れてきて、痛いです。変な歩き方にもなるし・・・。ね、我慢はよくないでしょ?  体育は心配ありません。これは私も意外だったのですが、運動中って洩れないんです。水分とっても大丈夫でした。じゃんじゃん運動しましょう。  あと、友達の家に泊まるとか、遊びに行って泊まるとか・・・。困りましたね。そんな時に限って漏らしたら取り返しがつかん!念のため、ナプキンをして寝ます。  飲みの時は、これも意外ですが漏れません。と言うか、飲むと私の場合大量にお茶も飲むので、アルコール+お茶の利尿効果でガンガンにトイレに行き、ついでに大きい方も出して、てな感じです。  OP後は体力が・・・と言う人もいるようですが、私の場合、OP前3ヶ月はほぼベッド上安静だったので、当然体力も筋肉もなくなりました。足が上がらなくて、階段の昇り降りもできないほどでした。OP後半年でバイトを始め、1年後には学校のバスケ部に入部し、2年後には、学校の授業で一週間スキーに行ってきました。一緒に行ったクラスの友達と全く変わりません。段々に体力は戻ってくるよ。  あと、OPをしたことを周りに言うか?  やっぱり入院したりすると「なんで?」と聞かれると思うんですが、私は普通に答えてました。ただ、私は看護学生なので、同級生も看護学生。言いやすい環境にあったんです。でも看護とは関係のない友達にも話していました。みんなへーて答えます。病名を言ってもあまりピンとこないんですねー。 <ちなみに>  *ステロイド量→約4200。ただしステロネマとプレドニゾロン注腸は含まず。  *ステロイドの副作用→ムーンフェイス、月経が止まった、多毛、中心性肥大、寝汗(夜中に1〜2度は着替えていた)、軽〜い脂肪肝軽〜い、白内障(検査で発見。自覚症状全く無し)骨粗鬆症(60代の骨。内服薬で年相応の骨量に回復しました)  *傷→OPを決心した時に、お腹の真ん中に縦に魚の骨みたいな痕が残る事を覚悟していたんですが、先生に女の子だし、まだ若いからと言う事で横に切ってくれました。下着でうま〜く隠れる位置です。これでビキニもはける!ただ、腹管(お腹の中に血液などが溜まらないように管を入れて外に出す。OPをすると必要な管)の痕はそれより上なのでばっちり見えます。気になる人にはビキニは無理かな。 *水分→もともと水分をたくさん摂る方ではなく、食事もお茶なしで食べていたくらい。OP後の食事はお茶1杯と一緒にとか、喉が乾いたと思ったら我慢せずに飲むようにしているくらいです。(ちなみに、母曰く「術後は食事に汁物を必ずつけるようにしている」とのこと)  *便洩れ→@就寝3時間前以内に飲食物を口にすると高率で洩れる。          A食後長時間、歩いたり、立ったままでいると洩れる。          B水分をたくさん摂った後に、歩いたり、立ったままでいると洩れる。           便漏れは、上の3つのことをしないようにして防ぎます。  *1日のトイレの回数→今は1日に7〜8回行きます。  *持ち物→遠出する時とか、歩き回る時、漏れてお尻が痛くなった時のためにアズノ−ルとナプキンとノンアルコールのお尻拭き(携帯用)があると安心。ウォシュレットのトイレも最近よく見かけるようになったけど、まだまだ。ちなみに一週間のスキー実習の時にも持っていきました。 <OPについて>  OPをして早2年。  私は結局UCと診断されてからOPまでが1年くらいと短くて、まさか自分がOPまでいくとは思ってなかった。最初診断された時は、もう再燃しないだろうと思っていたし。  私は、OPをしてよかったかと聞かれたら、YESと答えます。ただ、UCの人にOPを勧めるかと言ったら、何とも言えません。私が満足している状況を、他の人も同じように満足するかと言ったら人それぞれだし、責任もてないです。  結局は自分の人生なので最終的には自分で決めましょう。 2005年3月